学問空間 suzukikotaro’s diary

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桜町天皇宸翰

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 3月 7日(日)10時49分53秒

橋本政宣氏の「即位灌頂と二条家」は79ページに亘り、その構成は、

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はじめに
一 二条家伝来の即位灌頂文書
 1 即位灌頂文書の伝来と概要
 2 即位灌頂文書の目録と主要文書
ニ 即位灌頂儀礼の実態
 1 印明伝授と二条家
 2 即位灌頂の実修
三 近世の即位灌頂に於ける摂家相論
 1 貞享四年の東山天皇即位灌頂
 2 宝暦七年の中御門天皇即位灌頂
 3 享保二十年の桜町天皇即位灌頂
四 即位灌頂の家の固定化
 1 即位灌頂の摂家家説と相伝
 2 桜町天皇の即位灌頂伝授
おわりに
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となっています。
前回投稿の引用に「文書・記録も江戸期の初頭までは厖大な量を有し」とありますが、17世紀後半に火事が連続して、結局二条家伝来の文書の殆どは焼失してしまうんですね。
火災後、二条家が新たに集積した即位灌頂関係の文書が60点残されていて、それを分析したのが橋本氏の論文です。
江戸時代に入ってからも、即位灌頂を誰が勤めるかをめぐって摂関家内部で厳しい相論が続きますが、結局のところ、元文三年(1738)、桜町天皇から即位灌頂は二条家が専ら伝授すべし、との宸翰が出されて、「ここに即位灌頂の家二条家が名実ともに成立する」(p736)ことになります。
その桜町天皇の宸翰の内容は次の通りです。(p676)

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即位灌頂の事ハ、朝廷の重事なり、後三条院即位の時、成尊法印さつ
けたてまつる、これ始なり、そのゝち代々帝王即位ありといへとも、
此義なかりしに、伏見院即位の時、執柄ニ條師忠さつけ候而、これよ
り代々二条家のミ授申さる、近衛・九条・たか司ミな家に伝来あり、
ことに近衛家伝来の義ハくはしく朕かしることなり、しかれとも即位
節、執柄といへとも二条家のほかさつけらるゝ例ハなし、まことに二
条家理うむの事なり、後小松院御記に云、甚深口伝二条家外更に
あるましきよし、二条家規模たるへし、
二条家ハ他にことなる義、執柄・大臣・前官・当官・納言みな例あり、
雲客例はなけれとも、二条家かく別の事なれは、雲客とても主上にさ
つけられ子細あるましき事、
二条家伝受なき時ハ、主上つたへらるへし、主上伝受以前はれハ、上
皇よりつたへらるへき事、
一条は中絶のゝち伝受なきよし、後小松院宸記に見へたり、
 元文三年十二月十六日
           人皇百十六代天皇昭仁(桜町天皇
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ここにも二条師忠の名前が出てきますね。

桜町天皇
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E7%94%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87