学問空間 suzukikotaro’s diary

gooブログから引っ越してきました。

征夷大将軍はいつ重くなったのか

論文に社交辞令は不要。

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月20日(日)13時00分11秒 谷口論文の内容には全然関係ありませんが、論旨の展開以外に非常に気になったことがあります。それは、谷口氏が、 「呉座とともに現在の南北朝期研究をリードしている亀田俊和の意見」(p697)「…

『古典の未来学』を読んでみた。(その6)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月20日(日)11時45分3秒 「六、おわりに」で、谷口氏は小秋元段氏の「『太平記』研究はこの二十年、何を明らかにしてきたか」(『日本文学研究ジャーナル』第11号、2019年9月)に触れていますが、私もこの論文について少…

『古典の未来学』を読んでみた。(その5)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月19日(土)18時23分13秒 第五節に入ると、谷口氏は「「太平記史観」の超克へ向けた具体的な方法について列記してみたい」として、三つの提案をされています。(p703以下)------- 第一に、一次史料の博捜である。これは…

『古典の未来学』を読んでみた。(その4)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月19日(土)11時07分43秒 山田徹氏は学部・院が京大なので、亀田俊和氏の後輩ですね。また、フェイスブックを見ると今年四十歳とのことなので、呉座勇一と同年の生まれですから「若手」と呼ぶのも些か微妙な年代ですね。 …

『古典の未来学』を読んでみた。(その3)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月18日(金)10時48分3秒 前回投稿では谷口氏が引用するところの呉座勇一・亀田俊和氏の見解そのものは引用しませんでしたが、「太平記史観」の具体例として両氏とも建武政権の恩賞政策を挙げておられますね。即ち、呉座氏…

『古典の未来学』を読んでみた。(その2)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月17日(木)17時58分1秒 それでは谷口雄太氏の「「太平記史観」をとらえる」を少し検討してみます。この論文の構成は、 一、はじめに二、「太平記史観」を定義する三、それが「太平記史観」だと気付くまで四、「太平記史…

『古典の未来学』を読んでみた。(その1)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月17日(木)10時12分11秒 先月14日の投稿で触れた『古典の未来学』を今ごろやっと入手して、読んでみました。 荒木浩編『古典の未来学 Projecting Classicism』(文学通信)https://bungaku-report.com/books/ISBN978-4-9…

征夷大将軍に関する二つの「二者択一パターン」エピソード

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月16日(水)10時56分8秒 護良帰洛に関する『増鏡』と『太平記』の記事のどちらが信頼できるか、という問題ですが、答えは明らかですね。私自身は『増鏡』の作者について独自の考え方をしていて、それは以前からこの掲示板…

護良親王は征夷大将軍を望んだのか?(その3)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月15日(火)11時59分44秒 花田卓司氏の「建武政権と南朝は、武士に冷淡だったのか?」(呉座勇一編『南朝研究の最前線』、洋泉社、2016)に「従来、尊氏は主要ポストを与えられず、政権内で疎外されたといわれてきたが、…

護良親王は征夷大将軍を望んだのか?(その2)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月14日(月)10時52分3秒 前回投稿で引用した部分ですが、護良は、 (1)足利高氏が「わづかに一戦の功を以て、その志を万人の上に立てんと」しているので、高氏の勢力が微弱なうちにこれを討伐しておかなければ北条高時…

護良親王は征夷大将軍を望んだのか?(その1)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月13日(日)12時02分1秒 『大日本史料 第六編之一』(明治三十四年発行、昭和四十三年覆刻、吉川弘文館)の元弘三年(1333)六月十三日条には、『職原抄』の-------征夷使、大将軍一人、<〇中略>中務卿宗尊親王下向已後、…

「しかるに周知の如く、護良親王は自ら征夷大将軍となることを望み」(by 岡野友彦氏)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月12日(土)11時08分7秒 護良が征夷大将軍任官を自ら強く要求したのかを『太平記』に即して検討する前に、現在の建武新政期研究の水準を確認しておくため、岡野友彦氏の『北畠親房─大日本は神国なり─』(ミネルヴァ書房、…

「征夷大将軍」はいつ重くなったのか─論点整理を兼ねて

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月11日(金)10時08分24秒 今までの私の議論を眺めていて、櫻井陽子氏の「頼朝の征夷大将軍任官をめぐって―『山槐荒涼抜書要』の翻刻と紹介―」(『明月記研究』9号、2004)という論文を連想された方も多いかもしれません。…

征夷大将軍という存在の耐えられない軽さ(その5)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月10日(木)18時21分41秒 護良親王に関する評伝としては新井孝重氏の『護良親王 武家よりも君の恨めしく渡らせ給ふ』(ミネルヴァ書房、2016)も出ていますね。 -------護良親王(1308~1355)鎌倉時代後期の皇族皇族武将…

征夷大将軍という存在の耐えられない軽さ(その4)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月10日(木)12時41分28秒 亀田俊和氏の『征夷大将軍・護良親王』(戎光祥出版、2017)を通読して感じるのは、恐らく亀田氏は建武新政期の護良の動向を描くのに一番苦労されたのではないかな、ということです。護良が畿内…

征夷大将軍という存在の耐えられない軽さ(その3)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 9日(水)10時13分37秒 第十二巻第九節「兵部卿親王流刑の事」の続きです。時間の流れが曖昧なまま、護良が帝位を狙っていると尊氏が「准后」阿野廉子を通じて後醍醐に讒言し、それを信じた後醍醐が結城親光・名和長年…

征夷大将軍という存在の耐えられない軽さ(その2)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 7日(月)11時31分22秒 護良親王についての最新の研究というと、やはり亀田俊和氏の『征夷大将軍・護良親王』(戎光祥出版、2017)となりますが、護良親王に関しては信頼できる史料が本当に少なく、結局は『太平記』に…

征夷大将軍という存在の耐えられない軽さ(その1)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 6日(日)11時59分34秒 桃崎有一郎氏の『室町の覇者足利義満 朝廷と幕府はいかに統一されたのか』(ちくま新書、2020)に、-------直義を救うため、尊氏は出陣の許可と征夷大将軍への任命を後醍醐に要請した。しかし後…

人生初の『南北朝遺文 関東編』

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 5日(土)18時06分18秒 私が古文書学について全くの素人と言っているのは謙遜でも何でもなくて、単純な事実です。実は私は『南北朝遺文 関東編』の編纂者の一人である角田朋彦氏とは二十年来の知り合いで、以前、角田氏…

「大御厩事、被仰付状如件、 元弘四年二月五日 直義(花押)」

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 5日(土)11時51分49秒 ま、所詮私は古文書学については素人なので、付け焼刃で少し勉強してみたものの、建武元年四月一〇日付下知状が成良の征夷大将軍在任を前提としているのかどうかはよく分かりません。ただ、そう…

「前述の直義下知状は、その唯一の例外である」(by 亀田俊和氏)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 5日(土)10時36分25秒 それでは亀田俊和氏の『足利直義 下知、件のごとし』(ミネルヴァ書房、2016)を見て行きます。同書の「第二章 元弘と建武の戦い」「1 建武政権下の足利直義」から引用します。(p18)-------…

成良親王の征夷大将軍就任時期についての私の仮説

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 4日(金)10時33分10秒 成良親王が征夷大将軍に就任した時期については、諸史料の記述は概ね次の三つに分類できます。第一類型は元弘三年(1333)十二月の鎌倉下向の時点で既に任官していたとするものです。史料として…

護良親王の征夷大将軍解任時期との関係

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 3日(木)18時28分28秒 別に桃崎氏の見解の批判が目的ではないのですが、やはり桃崎氏のように佐藤進一説の枠組みの中にいる限り、いくら細部を工夫しても「鎌倉将軍府」の時代を正確に把握できないような感じがします…

「得宗の家格と家政を直義が継承」(by 桃崎有一郎氏)

「建武政権論」の続きです。(p65以下)------- 鎌倉の大慈寺新釈迦堂・山内新阿弥陀堂の供僧職や右大将〔源頼朝〕家法華堂禅衆職、金沢称名寺・浄光明寺の住持職はかつて執権の発する関東御教書で任命されたが、直義はこの権限を全く継承した。鎌倉府の供僧…

「"鎌倉将軍府"と呼ぶ専門家が結構いるが、それはさすがにまずい」(by 桃崎有一郎氏)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 2日(水)11時46分33秒 前回投稿では最後の方でちょっと書き過ぎたかもしれませんが、『室町の覇者 足利義満』は一般書であり、史料の出典が乏しいのは理解できます。桃崎氏は「初期室町幕府の執政と「武家探題」鎌倉殿…

「直義が鎌倉に入った一二月二九日は建久元年(一一九〇)に上洛した源頼朝の鎌倉帰着日と同じ」(by 桃崎有一郎氏)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年12月 1日(火)11時15分7秒 それでは桃崎有一郎氏の「建武政権論」(『岩波講座日本歴史第7巻 中世2』、2014)を検討します。同論文の構成は、-------はじめに一 皇位継承問題 1 承久の乱と両統迭立 2 後醍醐天皇の行動原…

「御教書以外では、主帥成良親王の仰せを奉ずる形で直義が出した下知状もある」(by 森茂暁氏)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年11月30日(月)11時22分4秒 続きです。(p35以下)-------鎌倉将軍府執権 ここで鎌倉将軍府における直義の役割を、その発給した文書によって具体的に見ておこう。直義の確かな発給文書は北条時行の乱、すなわち中先代の乱の…

「(鎌倉将軍府は)制度的にみると室町時代の鎌倉府の前身」(by 森茂暁氏)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年11月30日(月)08時17分22秒 成良親王は征夷大将軍に就いたのか、就いたとしてその時期はいつか、という問題から次の課題、即ち、中先代の乱に際して尊氏が本当に征夷大将軍を望んだのか、という問題に移ると書いたばかりで…

成良親王についての一応の整理と次の課題

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年11月28日(土)12時26分9秒 桃崎有一郎氏『室町の覇者足利義満』の成良親王に関する記述に疑問を持ったものの、コロナの影響ですぐに『大日本史料』を確認することができず、代わりに『続史愚抄』を覗いてみたところ、なかな…

『相顕抄』を読んでみた。(その2)

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2020年11月27日(金)11時05分35秒 『大日本史料 第六編之二』(明治三十四年発行、昭和四十三年覆刻、吉川弘文館)において、成良親王が建武二年(1335)八月一日に征夷大将軍になったことを明言する史料として唯一挙げられている…