学問空間 suzukikotaro’s diary

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後深草院二条回想録(015)

「『とはずがたり』では、久我家の家司・藤原仲綱の子の仲頼は亀山院に仕えていて、その手引きで貴女が亀山院と頻繁に会っていて、後深草院とは離れつつあるとの噂が流れていた、などという話がありましたが(21)、飛鳥井雅有氏の『都路の別れ』を初めて読んだとき、京都を出発した雅有氏を「左衛門大夫仲頼」が番場宿まで送って行き、道中では宴会に明け暮れるなど(22)、本当に親しく交流しているのを知って、仲頼の意外な一面、というか実像を知って驚きました」
「実像という言い方にちょっと棘があるわね。『とはずがたり』の方も、あれはあれなりに仲綱・仲頼父子の実像よ。多少の脚色があるだけで」
「そうですか。ま、それはともかく、次は二条為道氏(23)ですが、この方は二条家の総帥・為世氏の嫡男ですね。文永八年(1271)生まれなので、このとき二十二歳。将来は二条家の大黒柱として活躍されることが約束された身で、ご本人も研鑽を積まれていたようですが、二十九歳で早世されてしまいましたね。早歌の作者でもあるので、私は以前から注目していました。『とはずがたり』巻三の「北山准后九十賀」に関する長大な記事の最後にも、春宮大夫・西園寺実兼の琵琶の賞が為道に譲られ、為道が従四位上に昇進した、などという随分細かい話が出てきますね」
「なかなかの美男子で、為世の息子にもかかわらず性格も良い人でした。回数は多くないけど、関東にも行っているわね」
「為世氏の性格には問題がありましたか」
「悪口雑言罵詈讒謗の天才だったわね。まあ、為兼に挑発された面はあるけど、どっちもどっちよ」
「為道氏の奥さんは飛鳥井雅有氏の娘なので、本当に人間関係が緊密、というか狭い世界ですね」
「貴族社会はそんなもの、といえばそれまでだけど、為世が雅有の鎌倉人脈に期待した面があったのかもね」
「なるほど。ところで、「三島社奉納十首和歌」の作者のうち、早歌の作者は白拍子三条(24)でもある貴女と為道・為相氏の三人ですね」
「鎌倉在住の為相はもともと早歌の世界にも近い人だけど、為道は私が頼んで作ってもらったのよ。気さくに応じてくれたわ」
「そうですか。よっぽど仲が良かったのですね」
「何か言いたいことがあるの?」
「いえいえ。残りの一人、慶融氏(25)ですが、この方は為家(1198-1275)の息子で、為氏・為教の異母弟、為相氏の異母兄、為世・為兼氏の叔父ですね。武家家人との付き合いが深かったらしく、また、この方自身は早歌の作者ではありませんが、早歌の作者である素月という人と近かったようで、早歌の世界の周辺にいた人物ともいえそうですね」
「慶融さんは私より年齢が相当上で、親しくはありませんでした。早歌は鎌倉で大流行していたから、武家歌人とのお付き合いで何らかの接点はあったでしょうね」
「さて、「三島社奉納十首和歌」の作者についてお聞きしてきましたが、北条貞時勧進という話題性もあって、この催しは京都でも評判だったようですね。小川剛生氏の『「和歌所」の鎌倉時代』によれば、正応から永仁にかけて、玄観房承空という浄土宗の僧が大量の私家集を書写していて、その紙背文書に導蓮書状(26)というものがあるそうです。『冷泉家時雨亭叢書』で内容を確認してみたところ、正応六年(1293)の七月二十八日付導蓮書状に「去年関東三嶋社にて十首哥披講候ける時の哥一巻進之候、これそ当時関東の哥人達にて候」という一節があって、貴女の名前もバッチリ載っていたわけですね。そして、「この面々が現在の関東の主力歌人です」とのことですから、貴女も京・鎌倉で相当な有名人だったわけですね」
「その方たちは存じ上げないけれど、私が「三島社奉納十首和歌」の作者中の紅一点で、超有名人だったことは確かね。当然です」


(21) 『とはずがたり』における中院雅忠家の家司、藤原仲綱・仲頼父子の登場場面についてはリンク先参照。
巻一「傅仲綱・継母ら出家、弔問」
http://web.archive.org/web/20061006210256/http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/genbun-towa1-18-menotorashukke.htm
『とはずがたり』に描かれた中御門経任(その9)─近衛大殿〔2018-02-20〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/f71f109655ed3559cb528b1ffc346a00
『とはずがたり』に描かれた「持明院殿」蹴鞠(その2)〔2018-04-20〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/960f629a5cc08b7f21f6c03ef780b260
再開に向けての備忘録(その6)〔2022-10-20〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/4e8efd0b8cb617cb0968bf1ccc6e24a9
「有明の月」ストーリーの機能論的分析(その11)〔2022-12-11〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/860b01f2793cb9089bfde9baa854588a
(22) 『都路の別れ』・『春の深山路』に見える飛鳥井雅有と藤原仲綱・仲頼父子の交流についてはリンク先参照。
再開に向けての備忘録(その3)〔2022-10-18〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/5929a96ca3838f303acad3a69045df7b
再開に向けての備忘録(その7)〔2022-10-21〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/35535f7199f9fce6af35fc80ab22de38
(23) 二条為道についてはリンク先参照。
「撰要目録」を読む。(その2)〔2018-03-02〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/d40419fb4040d03777431b35d63a54a7
『とはずがたり』の政治的意味(その7)〔2022-03-18〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/028e215bb464b8966dc4f25d675a5f65
小川剛生氏「京極為兼と公家政権」(その21)〔2022-06-27〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/8bde59a2c7674622506b25bb2fc13c6a
『拾遺現藻和歌集』の撰者は誰なのか?(その15)~(その18)〔2022-09-21〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/188c1ed620613ab658588a625155a5ca
【中略】
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/c31ec989efdcc471c6ae349ab5d4cd7a
(24) 白拍子三条については多数の記事があるが、とりあえずはリンク先参照。
第三回中間整理(その6)〔2018-04-12〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/9f6f8f9b9b6304d2a185c8cb9e7d468e
(25) 慶融についてはリンク先参照。
再開に向けての備忘録(その12)(その13)〔2022-10-27〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/8b5dc7c8859821188b3e58c771c31290
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/67ffae3f2cebffaf930981138f73a7ce
(26) 導蓮書状についてはリンク先参照。
資料:小川剛生氏「為世の「打聞」─承空本私家集の紙背文書」〔2026-08-20〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/2026/08/20/202433
「冷泉家歌書紙背文書208 導蓮書状」〔2026-08-21〕
https://suzukikotaro.hatenablog.com/entry/2026/08/21/212350