投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 9月16日(土)11時43分31秒
先に紹介したように、石堂清倫は1985年の講演で、アイノ・クーシネンの自伝を参照して、
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【前略】そんなこともわかって面白いのですが、しかしゾルゲとの交渉については、彼女の言っていることは重要なことです。書いているのは戦後ですが、彼女は「ゾルゲは捕まったけれども、当然、日本政府とソ連政府の間で身柄交換によって釈放されるだろうと思っていた」と書いています。
ソ連側にも日本の捕虜がたくさんおります。ノモンハンで相当高級将校が捕まっておりますから、それとゾルゲを交換しようとソ連が言えば、可能になります。「ゾルゲは、自分は殺されないで、身柄交換でロシアには戻れるだろうと楽観している」と、彼女は書いているわけです。
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と述べているのですが、『革命の堕天使たち―回想のスターリン時代』(坂内知子訳、平凡社、1992)を見ると、カギ括弧の内容に直接対応する表現はありません。
関係部分を検討する前に、前提としてアイノが来日する経緯を少し見ておきます。
アイノ・クーシネン(1886-1970)はコミンテルンで働いていたときにゾルゲ(1895-1944)と面識があったのですが、1934年11月、赤軍参謀本部第四局長ヤン・ベルジン(1889-1938)の指示でスウェーデン国籍の「エリザベト・ハンソン」名で来日して以降は、直接にゾルゲの配下として活動することはなく、ただ、参謀本部第四局との連絡はすべてゾルゲを通して行っており、活動資金もゾルゲから渡されていたそうですね。
「東京では豪奢な暮らし振りをして、日本の最有力政治家たちと交際すべきことを強調した」(p150)ベルジンの方針に従って東京で一年間楽しく暮らしていたら、翌1935年11月、突然にモスクワに戻るように命令され、戻ってみるとベルジンが失脚し、第四局長はセミョーン・ウリツキー(1895-1938)に交替しています。
モスクワへの帰還命令の背景には離婚を絶対に認めようとしないオットー・クーシネン(1881-1964)の画策などもあったようですが、結局、ウリツキーはアイノ・クーシネンが再度日本へ向かうことを承認し、「日本におけるわたしの社会的地位を高めるために、日本に関して、その国と人々について称揚する本を出版するのがよいと提案」(p168)したので、アイノはストックホルムで『微笑するニッポン』を執筆・出版して、それをお土産に1936年9月、再来日します。
そして、再来日後のゾルゲとの関係について、次のように述べます。(p175以下)
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日本に戻ってほどなく、わたしはウリツキイの警告を思い起こした。日独間の防共協定(一九三六年十一月)は、これら両国とソヴィエトの間に緊張が高まっている明らかな兆候であった。一方、中ソ不可侵条約は、日本に対抗するものだった。
一九三七年のほとんどを、わたしは自由に過ごすことができた。しかし、十一月の末、二年前にモスクワに帰還せよという命令を伝えに来たドイツ語を話す女性から、電話を受けた。彼女は、その晩、三菱レストランで夕食を共にしようと言ったが、その招待はわたしには不吉な予感がした。そのレストランへ行くと、彼女は、ゾルゲの指示により、翌日の晩八時に六本木商店街の花屋へ行き、二年前にそうしたように、彼の助手に会うようにと言った。食事には、彼女が夫と紹介したきちんとした身なりの男性が同席した。ゾルゲがのちに語ったところによれば、彼の職業は化学者でソヴィエト大使館に関係しているということであった。彼は、オーストリア訛りのドイツ語をしゃべった。
次の日、わたしはかっきりその時間にゾルゲの助手に会い、彼はわたしをゾルゲのアパートに連れて行った。飲み残しのウィスキー瓶を脇のテーブルに置き、泥酔してソファに横になっているゾルゲを見て、わたしは困惑した。明らかに彼はグラスを使ってなかった。彼は、彼も含めたわれわれ「すべて」がモスクワに行く命令を受けたこと、わたしは次の指令を受けるためウラジオストックへ行くべきことを語った。彼には、その命令の根拠がわからなかった。だが、モスクワの空気が「不健康」であるにしても、わたし自身には恐れるべきことは何もなかった。ゾルゲとしては、その命令が絶対に必要なものなら従う気だろうが、わたしは、もし彼が東京を去るようなことになれば─どっちみちそれは四月以前にできることではなかったが─、この地で彼が作り上げた特別な人脈が完全に潰滅するだろうと第四課に報告するつもりだった。それからゾルゲは、わたしが熟考すべきことを口にしたが、それはのちに何度となく思い返すことになる言葉であった。「きみは、とても聡明な女性だ。わたしが会った中で一番明晰な女性だ。だが、きみよりもわたしの方が利口だよ。」
彼の言わんとすることを理解した時には、あとの祭りでしかなかった。もう手遅れになっていたのだ。ゾルゲは、わたしが悟る前に、モスクワでわれわれ二人を待ち受けていた危険を知っていたゆえにわたしより利口だったのだ。彼がわたしにもっとはっきり警告しなかった理由は、彼がわたしと接触することをもはや望んでいなかったということではない。それは彼にとって、決して厄介な仕事ではなかったのだから。むしろ、それは、彼が誰も信じていなかったからであり、もし彼があからさまに語ってしまうと、あとでいつかわたしが彼を攻撃するために彼の言葉を持ち出すかもしれないと考えてのことであり、それは当然のことだった。
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長くなったので、いったん切ります。