学問空間 suzukikotaro’s diary

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「石母田先生と札幌」に関する練習問題

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月15日(土)10時23分45秒

【問題】次の文章を読み、設問に答えなさい。
(出典:佐伯有清「石母田先生と札幌」、『石母田正著作集月報6』p6以下)

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 義江彰夫さんが、この『月報』4(二〇〇〇年一〇月刊)で「先生誕生の場所が古い地図に札幌番外地と記されているのを見つけては、小躍りしながらその場所までお連れ」したと書いているのを読んで思い出した。私も石母田先生の「誕生の場所」に先生とともに出かけたひとりなのである。
 義江さんが「先生誕生の場所」と表現したのは、すでに先生ご誕生当時の「生家」などは、跡形もなく消え失せていたからである。しかし札幌は、京都の街衢を小型化して、井然とした街造りをしていたため、「先生誕生の場所」は、明確に残っていた。石母田先生が、その場所に佇まれたのは、二度目のことであったと思われる。
 石母田先生は、「(A) 」などと、「小躍りしながら」、騒ぎ立てられても、いつものように外では笑顔を絶やされなかった。けれども、内ではいたく心を傷つけられたのではなかったか。石母田先生にとっては、深く重い思い出が札幌にはあったからである。
 かつて私を魅了させた石母田先生の『歴史と民族の発見─歴史学の課題と方法─』に収められている「母についての手紙─魯迅と許南麒によせて─」には、札幌と北海道について、つぎのような美しい文章が書き記されている。
 保守的な母が、この事件についてはけっして私をしかりま
 せんでした。・・・しかし私の受けねばならない苦しみは母
 をひどく苦しめ動揺させました。私の気がとげとげしくな
 っているので、それがなごむようにといって、私の生れ故
 郷である札幌へつれていってくれました。幼少のとき
 から何かにつけて美しい土地として母に聞かされていた北
 海道を母と二人して旅した記憶は、私の生涯で忘れること
 のできない印象をのこしました。
 文中にある「この事件」とは、石母田先生が、この文章の前文で、「私は(B) の高等学校にしたとき、社会科学研究会のメンバーであったというそれだけの理由で、警察に引張られ、学校は無期停学になって、郷里に帰されました」と記している忌まわしい事件のことである。
 石母田先生のこの「生涯で忘れることのできない印象をのこし」た旅のこと、そして石母田先生が御母様とふたりで「先生誕生の場所」に佇んだに違いないことを、私たちが思い出していたならば、「(A) 」などと冗談にもせよ、口にはしなかったであろう。
 そのことがあってか、石母田先生は、私に向って、「この学校は、ずいぶんひどいところですねえ。学部長のところへあいさつに行けといわれたのですよ」と、たいへん不愉快な顔をされて、呟かれた。しかし、石母田先生の講義を真摯な態度で、熱心に聴講した多くの学生がいたことに、先生は大きく慰められたであろう。
 かつて私も編纂にかかわった『北大百年史』には、戦後、北大に法文学部が創設されるのに際し、日本史学の教員候補として、石母田先生の名前も北海道の新聞紙上で取りざたされ、先生を推薦したのは、法学系の創設準備委員であった杉之原舜一氏であったらしいとある。
 百年史編纂委員会の席上でも、この話を聞いたおぼえが私にはあるが、どうして沙汰やみとなったかについて、私は石母田先生に直接尋ねてみることはしなかったし、先生も私にそうした話は、いっさい口にされたことはなかった。いずれにせよ札幌の地は、先生にとっての「生地」であったばかりでなく、いろいろの思いがこもっていた土地であったのである。
(後略)
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[設問1]
 文章中の(A)に入れるべき語句を答えなさい。

[設問2]
 文章中の(B)には都市名が入っている。
 その都市名を次の選択肢の中から選びなさい。

 (1)東京
 (2)仙台
 (3)京都
 (4)北京

[設問2]
 筆者が義江彰夫氏に抱いていると思われる感情を、次の選択肢の中から選びなさい。
 複数選択可。

 (1)義江彰夫氏は軽薄である。
 (2)義江彰夫氏の「冗談」は全然面白くない。
 (3)義江彰夫氏は石母田先生の講義を真摯な態度で、熱心に聴講した。